チラシの裏・・・的な。

チラシの裏にでも書いとけ! と批判されるような内容になるかも、と思い自虐的なブログタイトルにしました(笑)。

民主主義

増田に面白い記事があった。

 

■テロなんかしたって世の中は変わらない。でも選挙にいくよりはマシだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150914225701

 

要約すると、この増田が言いたいことは2点。

1.テロを容認したくはないが、選挙行ったって世の中変わらないじゃん。テロの方がマシじゃね?
2.選挙って本当に民意を汲み取れるの?

こんなとこだろう。
これに対する批判的なコメントが色々ついていて、それぞれ納得させられる意見が多かった。
それは良いのだが、この増田氏やコメントを付けた方々とはちょっと違う観点で
考えていたことがあったので書いてみる。

 

テロについて。
私だってテロは嫌いだ。許したくない。だが、いついかなる状況でも許されないのか?
例えば東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)の場合。民族浄化なんてことが行われていて
外国からの支援もない。彼らの抵抗手段はテロしかないとしたら・・・。
翻って我が国、いわゆる赤穂浪士の討ち入り。多くの人が今でも支持するが
当時の法体系から言えば明らかにテロである。
関係ない人を巻き込む無差別テロは許せないが、状況によっては・・・。
と思いつつ結論を出せないでいる。

 

選挙について。
多数決=民主主義って思われがちだけど、そ~じゃないんだよね。
別に少数意見を尊重しろって言う訳じゃなくて、
バチカンが法王を決めるときのコンクラーベってあるよね。
これって投票による多数決なんだけど、バチカンって民主主義なの?
違うよね。これは神の意志を諮るためのある種占い的要素のある選挙なんだよね。
これって実は重要で、精神障害者や知能障害者の選挙権に絡んでくると思う。
精神障害者や知能障害者が政治的判断を出来るかというと正直難しいと思う。
でも彼らの人権を考えると選挙権を剥奪は出来ない。
ならば、選挙を民意を汲み取る方法ではなく、我々の進路を決めるための超越的な
何か--それを神と呼ぶかどうかはともかく--と規定してもいいのではないか?
そうすれば選挙権と知的能力に関係は無くなるんだよね。

 

ってなふうに考えるんだが、現実とすりあわせるのは厳しいなー。