シンギュラリティ
シンギュラリティの話を初めて知った時、脳天気な私は"私が何の努力もしなくても、科学技術の発展でバラ色の未来が開ける!"と妄想した(笑)。だが、カーツワイル氏の提唱するシンギュラリティはそんなムシのいい話など遥かに超越しているようだ。
シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき(レイ・カーツワイル著)
http://www.kyamaneko.com/entry/2016/05/22/024226
上記ブログから注目した点を引用させてもらおう。
最終的には、「宇宙レベルに広がる人間意識」という段階までに話がおよぶ。本書に対して前向きについていけば、理解できなくもない理論であるが、そういう点については宗教書的というか、思想的な部分にまで達していると言える。
"宇宙レベルに広がる人間意識"とまではいかないが、こんなことを妄想したことがある。もし、人の脳や意識を完全にコピーできるようになったとしたら、そしてオリジナルを含めてコピーした沢山の意識の経験を完全に同期できるようになったら・・・自己同一性はどこに求められるのだろう?大勢の"私"がいて遠くの"私"がした経験もここにいる"私"のものである。東京にいる"私"とニューヨークにいる"私"が存在する空間を除いてすべて同じだとしたら・・・。
ここまで来ると、おそらく人の持つ"個"とか"個人"と言った概念が変質するのでは無いだろうかと漠然と妄想していたのだが、それに近い考えがこの本にはあるのかもしれない。
この本は是非読まねば。しかし、"積ん読"になってる本が2,3冊あるんだよなあ(笑)。